松之山温泉街の一番奥、不動滝の横に「ブラックシンボル」と呼ばれる巨大な牡牛の像が建っている。スペインのシェリー酒メーカーの老舗「オズボルネ」のシンボルだが、それを目指し、はるばる本国スペインから一人のライダーが大陸を横断し今夏遂に目的地に到着した。スペインと日本、遠い距離を経たてつつもつながる思い──国境を越えた人と文化の絆をレポート
2025年7月22日14時30分、スペインバルセロナを出発したフリオ・アラモ氏がオートバイで大陸を横断、イタリア、トルコ、アルメニア、トルキスタン、モンゴル、ロシアなど11か国を経て、ウラジオストクからフェリーで韓国、そして境港まで。約2万2000㎞を走破し、最後のブラックシンボルがある松之山温泉街でのゴールを達成した
地球の裏側から2万㎞を旅して松之山温泉に
松之山温泉街を流れる湯本川を横目に進み、不動滝と呼ばれる滝の近くにくると、突如大きな黒い牡牛のモニュメントである「ブラックシンボル」が現われる。スペインのシェリー酒メーカー「オズボルネ」のシンボルマークだ。スペイン本土を中心に、いまや各国94体が建てられているが、松之山のものは日本で唯一のシンボルとなっている。
そもそもこの「ブラックシンボル」は2018年、越後妻有地区で開かれた「大地の芸術祭」で、アーティストのサンティアゴ・シエラ氏によって建てられたもの。シエラ氏が芸術祭の創作に当たって各地を回ったところ、松之山の深く力強い自然が、故郷スペインの情熱的な雰囲気にピタリと合ったのがきっかけだ。
2018年、松之山温泉街の一番奥の山すそに温泉街見下ろすようにスペインのシェリー酒メーカー老舗オズボルネの「ブラックシンボル」が建てられた。関係者と地元の人たちが揃ってお祝いした
この「ブラックシンボル」をオートバイで巡るのが「TORO EN MOTO(トロ・エン・モト)」というプロジェクトだ。ITエンジニアでウェブデザイナーでもあるスペイン人、フリオ・アラモさん(52歳)は、そのプロジェクトの一員。これまで本土はもちろん、メキシコ、デンマークのモニュメントを巡った。そして遂に最後に残ったモニュメントである、日本の松之山温泉にある「ブラックシンボル」を目指すことになった。
ユーラシア大陸横断の旅の途中では、洪水に合ったり地元の人たちとの交流があったり、地域の文化と暮らし、自然に向き合う旅が続いた。アラモ氏の愛車はトライアンフのTiger 1200cc Rallyexplorer
スペインのマドリードを2025年5月に出発。紛争中のウクライナを避けるように黒海の下をくぐるようにして中央アジアを抜けて極東、そして日本へ。約2万2000㎞の旅路だ
2025年5月3日にスペインのバルセロナを出発、イタリア、クロアチア、トルコ、アルメニア、ジョージアをめぐり、そこからキルギスタン、モンゴルのウランバートル、を経て再びロシア領に入りウラジオストクへ。11か国、大陸横断22000㎞の冒険旅行を敢行した。
途中、洪水にあったり、様々な国の人たちとの暖かい交流があったり。ウラジオストクではフェリーの都合で4日間も足止めを食ったり……。紆余曲折のなか、ようやく日本の地に辿り着き、7月22日午後2時、ついに目的の松之山温泉街に到着した。
アラモ氏の到着を出発以前から首を長く待っていたのが、地元の温泉宿である「ひなの宿ちとせ」の柳一成氏だ。じつはこの計画自体はすでに4年以上前から持ち上がっていたという。柳氏は言う。「オズボルネ」の役員で、ブラックシンボルを松之山に建てることを推進してくれたイワン・ランツァさんから連絡があり、松之山のモニュメントを目指そうとしている人物がいることは聞いていました」。
柳氏はぜひ松之山に来てほしいというメッセージ動画を送り、それが向こうのテレビ局でも放映されたという。「ところが直後にコロナ騒動があり、その後しばらく立ち消えになっていたんです」
忘れかけていた2025年の春、柳氏の元に再びイワンさんから連絡があり、計画が実行されそうだと知らされた。「その後、アラモさんからフェイスブックで5月3日に本当に日本を目指した旅が始まったことを知りました。その後、行く先々でアラモさんがフェイスブックで状況を知らせてくれました」
「まつのやま学園」の子どもたちに歓迎の応援を依頼する
「ゴールを目指すアラモさんをできる限り暖かく、盛大に松之山に迎えたいと考えました。まっさきに頭に浮かんだのが、まつのやま学園の子どもたちに協力してもらうことでした」と柳氏は話す。まつのやま学園は松之山にある小中一貫校で、約70名の子どもが在籍している。地元の子どもたちの純粋で輝く瞳と声援が、長く困難な旅路を乗り越えてきたアラモ氏にとって、最高の癒しと喜びになるに違いない。柳氏はそう考えたという。
2017年(平成29年4月)より小中一貫校として再生した「まつのやま学園」。小学校1年生から中学校3年生まで、全9年生が1つの学び舎で勉強する。自然の中で地域の人たちや暮らしとつながる全人教育をモットーとしている
柳氏は学園長である渡辺進氏に経緯を説明するとともに、歓迎会の生徒たちの参加を要請した。じつは柳氏と渡辺氏は同じ松之山出身でしかも学生時代は同級生だった間柄でもある。「子どもたちにとっても、国際交流の貴重な体験になると思いました」(柳氏)
いっぽう、渡辺学園長は打診を受けて即了解したという。「子どもにとって1つの目的をもって世界中をオートバイで旅してきた人はとても魅力的です。わが学園のモットーは『エンジョイ&チャレンジ』です。楽しみながら挑戦を続けるアラモさんはまさにそんな人物で、しかも外国の人と触れ合う数少ない機会でもあります。子どもたちには貴重な体験と学びになると考えました」と渡辺学園長。
OKを得た柳氏は、事前に学園に赴き、子どもたちにオズボルネ社やブラックシンボルの話、トロ・エン・モトやアラモ氏の挑戦の話、これまでの経緯をしっかりと説明した。
「子どもたちもよくわかってくれたようで、興味を持ってくれた感触がありました。それで割りばしと紙で、手作りの日本とスペインの国旗などを作ってくれました」(柳氏)
いよいよ歓迎会、その時思わぬハプニングが!?
7月22日午後2時30、オートバイに乗ったアダモ氏が温泉街の道を登ってくる。子どもたちや温泉街の旅館関係者など約100名が沿道を埋め、それぞれ国旗を振って盛大に出迎えた。オートバイから降りたアラモ氏に、突然まつのやま学園の子どもの一人が走り寄り歓迎と祝福のハグ。予定にはない突然の出来事にアラモ氏だけでなく周囲も驚き、ひときわ盛り上がった。
ゴールしてバイクから降り立ったアラモ氏にハグする地元まつのやま学園の8年生の男子生徒。予定にはなく生徒のとっさの行動に周囲は盛り上がった
ちなみにアラモ氏に抱き着いたのは学園の8年生の男子(14歳)だ。「長い旅の挑戦はとても勇気があることだと思い、感激のあまり思わず体が動いてしました。アラモさんの決断と力を見習いたい」とその時の気持ちを吐露する。
歓迎式では神官が祝詞を上げたのち、高の井酒造の酒樽を囲んでの鏡割りと乾杯など、日本的なお祝いの儀式を行った。そのあとの交流会でも、子どもたちの元気な姿が印象的。とくにアラモ氏への質問コーナーでは「一人旅は寂しくありませんでしたか?」「ご飯はどんなものを食べたのですか?」「おトイレはどうしていたんですか?」など、次々に鋭い質問が飛びだした。
手作りの両国の旗を振り歓迎するまつのやま学園の児童・生徒らとアラモ氏が記念撮影。子どもたちの声援に終始笑顔が絶えないアラモ氏が印象的だった
「大人では質問できないような素朴で、しかも鋭い質問が多かった。子どもたちの素直な目線には驚きました。何より、嬉しそうに応えているアラモさんの表情も印象的でした」と柳さんは目を細める。
温泉街を挙げての歓迎に、アラモ氏も大いに感激したようだ。ゴール直後の大勢の声援に思わず目には光るものが。地球を半周する80日の挑戦を経ての遠い松之山の地の暖かい出迎えは言葉の壁を超えて浸透したようだ。
魚沼の銘酒「たかの井」で鏡割り、そして乾杯をするアラモ氏と関係者たち
柳氏は「とにかく長い旅路の果てなので、薬効ある温泉で、ゆっくりして長旅の疲れを癒してほしいと思いました」と話す。その後1週間、アラモ氏は松之山温泉に滞在し、チャレンジの軌跡を編集したのちに帰途に付いたという。
学園のユニークな全人教育と地域との深いつながり
ここで少し話を変えて、アラモ氏の出迎えの主役となったと言ってもいい、まつのやま学園とその子どもたちの話に触れてみたい。じつはこのサイトのなかでも、すでに『小中一貫、地元の人たちの支援と豊かな自然の中でうまれた全人教育「まつのやま学園」の取組と可能性を探る』と題した同学園の記事をアップしている。
2017年から小中一貫校として誕生した同学園は、まさに松之山の豊かな自然のもとで、地元の人たちの協力によって田植え稲刈り、ヤギの飼育や地元での職場体験など、この地域でしか学べない全人教育で知られている。渡辺学園長は「地元の人たちの暮らしや仕事を通じて、ふるさと松之山について学ぶ総合的な学習の時間及び生活科のことを『まつのやまタイム』と呼びます」と説明する。
まつのやま学園では「まつのやまタイム」という探究学習がある。稲刈りやヤギの世話など、地元の人たちの仕事を体験しつつ、貴重な学びを得る
今回のアラモ氏の歓迎会参加もまさにその活動の1つ。ただし、学校には通常の学習カリキュラムもある。参加には学園の教員の理解と協力も不可欠だ。柳さんの事前の説明会は生徒に向けたものであると同時に、学園職員全員に活動の趣旨と意義を理解してもらうためだったと渡辺学園長は語る。
子どもの多様性と個性に応じた教育をしたいと語る渡辺進学園長。ユニークな教育の成果か、これまでは様々な事情を抱える子どもも、学園では見違えるように元気になるそうだ
このような全人教育が始まって今年で9年目、そのユニークな教育方針はいまや県内だけでなく県外からも注目を浴びている。特認校で学区制限がなく、2022年からは「雪里留学」と呼ばれる留学制度を始めた。いまでは移住と留学生を合わせると約20人、そのうち県外から転入が7人となっている。いずれも松之山の豊かな自然と、暖かい地域の人たちのつながりの中で、ほかの地域では難しい全人的教育と地域に根差した生きた学びを得るのを希望している。
全校児童生徒が約70人に職員が現在22人。通常の教科学習をこなすと同時に「まつのやまタイム」のような探究学習もある。職員の仕事はそれだけ大変で、赴任して間もない時期は戸惑う教員もいるとか。ただし、地域の人たちの連携、協働、そして豊かな自然環境の中で子どもたちの伸び伸びした姿になじんでくると、今度は別の場所に赴任するのを嫌がる教員も多いそうだ。
「子どもそれぞれの個性に応じた個別教育に対応することが究極の目的です。本来の指導要領に基づく教育活動をこなしつつ、どこまでそれを追及できるか? それには地域、地元の多くの人たちの協力が不可欠です。生きた学びは地元の様々な人たちとその活動に触れること。今回の歓迎会への参加は、多くを学ばせてもらっている地域の人たちへのお返しでもあると同時に、それによって子どもたちはさらに多くを学ぶことができる。WIN-WINのスパイラルができるのが当学園の特徴だと自負しています」(渡辺学園長)
ちなみにまつのやま学園は今年10月10日、小中一貫校教育小規模校全国連絡協議会のホスト校として、全国サミットを学園で開催した。京都の大原学院小中学校や奈良県の田原小中学校、滋賀県の鏡岡学園など全6学校が参加し、リモートでの活動報告などが行われた。まつのやま学園のユニークな教育方針や活動が広く知られることになった。
2025年10月10日まつのやま学園で行われた「第10回小中一貫教育小規模校全国サミットinまつのやま」。学園の児童や生徒たちの活動をゲームや発表などを通じて発信した
今回、目を輝かせ笑顔でアラモ氏を歓迎し、中には思わず飛びついた生徒がいたこと、またアラモ氏への質問コーナーで次々に子どもたちからの質問がとびかったことに、学園長は教育の成果の一端を見たと話す。「シナリオがあったわけでも仕込んだわけでもない。すべて生徒たちの自発的な行動でした。自分の気持ちや考えを素直に表現できるようになってほしいというのが学園の教育目標の1つですから、その成果がまさに形になった」と顔をほころばせた。
アラモ氏の来訪と地元の歓迎がもたらした大きな財産とは?
成功裡に終わった今回のアラモ氏の目標達成と歓迎だが、その意味するところはとても大きいと柳氏は言う。「まず1つはオズボルネ社やトロ・エン・モトのアラモ氏など、スペインの人たちとのつながりがさらに深くなったこと。2018年に大地の芸術祭を通じて生まれた縁が、その後私たちもオズボルネ社の厚意によってスペインに招かれ歓待されたり、シェリー酒文化を松之山から発信することにつながった。そしてSNSを通じてメッセージのやり取りを続けつつ、今回思わぬアラモ氏の最終目的地になった。地域と人そして世界が、芸術や文化を通じて結びつく。まさに大地の芸術祭のモットーを具現化することになったと自負しています」
今回のアラモ氏の歓迎と松之山での滞在の様子は動画などで撮影し、それがフェイスブックやYoutubeで発信されている。さらにスペインの地元テレビなどの番組に、アラモ氏が何度も登場し、松之山の人たちや暮らし、人々との交流をスペインの人たちに報告しているという。「すぐに観光に結びつけるというのではなく、ビジネスを超えた持続的なつながりが大事。それが次の世代にまで続く地域の共有財産になる。そういうことを教えられましたし、かつ少なからず実行できたことが嬉しいですね」
アラモ氏はスペインに帰った後も地元のメディアや講演などに引っ張りだこ。先々で過酷なチャレンジと松之山での体験を語っている
もう1つは地元のつながりがさらに強いものになったこと。「まつのやま学園の子どもたちに積極的に参加してもらうことで、地域ぐるみで受け入れることができました。松之山の地域のつながりがさらに深くなった。そして子どもたちが大人になったときに、自身の記憶の片隅にでも今回の事が残っていて、地域に対する意識や思いにつながってくれればと思います」と柳氏。
「山のどん底」=松之山温泉ならではのホスピタリティ
そして3つ目の意義は、松之山で温泉旅館を経営する柳氏の思いと重なるものだ。かつてこの松之山の地に逗留し数々の作品のインスピレーションを得たという作家・坂口安吾が、その作品のなかで松之山温泉を『山のどん底』(坂口安吾・『逃げたい心』)と表現した。柳氏いわく、たしかに今ブラックシンボルが立っているところから温泉街を見ると、まさに山間のどん底と言うにふさわしいと。
ブラックシンボルのある辺りから松之山温泉街を見下ろす。まさにこの地に逗留した作家坂口安吾のいう「山のどん底」にあるような景色が広がっている
「それでも、こんな信越国境近くの『山のどん底』にまで足を延ばして来てくれる人がいる。だからこそ私たちは『ようこそ、いらっしゃいました』と、最大限の歓迎ともてなしをしなければいけません。それが昔から脈々とつながれる松之山温泉ならではのホスピタリティ精神だと思います」と柳氏は力を込める。
その点、今回のアラモ氏はまさに地球の裏側から2万キロの旅路を経て、日本のへき地と言ってもいい松之山を目指した。松之山のホスピタリティをここぞと示す機会であり、場でもある。「アラモさんがバイクから降り立った時に思わず抱き着きハグした子どもがいましたが、まさにあの姿こそ松之山の『ようこそ、いらっしゃいました』精神。私自身、嬉しく思うと同時に、子どもの姿に改めて松之山のホスピタリティの真髄を再確認させてもらえました」
取材で柳氏の話を聞いた部屋の片隅に、アラモ氏と柳氏夫妻が映っている写真が額に飾って置いてあった。「これはアラモ氏がわざわざ十日町の写真店までバイクで走って行って、私たちのために作ってくれたものです」と、柳氏は目を細めるようにして話してくれた。
ブラックシンボルと愛車の前でアラモ氏と柳夫妻が記念撮影。この写真をアラモ氏が自ら十日町の写真店で紙焼きし、お店の人に頼んでメッセージ「愛する日本の家族、ありがとう」と書き入れて贈ってくれたと、ブラックシンボルのシャツを着た柳氏が教えてくれた
深い自然と温泉の溢れ出すエネルギーに満ちた『山のどん底』は、人々が引き込まれ交差する場でもあるのだろう。その重力と磁場のなかで、様々な思いや気持ちが重なり、化学反応を起こし発酵し、豊かに醸造される──。
「今回の歓迎を通じてさらに私自身、この地域のつながりと可能性を再確認しました。自分自身元気でやれるうちは文字通り一所懸命、精いっぱい取り組みたい。そう思わせてくれた歓迎会でもありました」と、柳氏。その目はさらに先を見つめているように輝いていた。
