深い森に囲まれている松之山は野鳥の宝庫でもある。アカショウビンはその代表だ。大きなくちばしに赤い色の体で、キョロロロローと鳴く声に特徴がある。ところが人気のあまり、いまや様々な問題も起きているという。松之山の野鳥の生態とその事情をレポート!
深い森と豊かな水に恵まれた松之山に野鳥が集まる
「松之山は温泉が有名ですが、野鳥がたくさん集まる場所としても知られています」と話すのは、松之山野鳥愛護会会長の村山暁(さとる)さんだ。「愛護会に入った1981年から現在まで、153種類の野鳥が松之山の地で確認されています。一か所でこれだけの鳥が集まる場所は珍しい」と強調する。それはこの地の自然環境が大きく関わっているという。
松之山は日本有数の豪雪地帯で冬には積雪が4メートルを超えることも珍しくない。その雪どけの水は、かつては海底だったこの地特有の砂や細かな土砂の堆積層に浸み込み豊富な地下水となる。山間の比較的高所であるにもかかわらず、松之山は水に恵まれた地域なのだ。
実際にこの地を歩いてみるとよくわかる。外に出たとたんに、あちらこちらでサラサラ、ザワザワと水の流れる音がすることに気がつくだろう。松之山周辺には各所に湧水があり、それがたくさんの沢や小川の流れとなり、あるいは付近の水路に沿って勢いよく流れている。
この特殊な気候と土地の特性から、松之山周辺はブナやミズナラ、コナラなどの落葉樹林と、スギなどの常緑樹林が混然一体となった、豊かな森林帯が形成されている。とくにブナは本来は標高500メートル以上の高所に植生するが、豪雪の影響で200メートルくらいの低地から見られるのが松之山の特徴でもある。
この深い森と豊かな水は、当然ながら植物だけでなく動物にとっても大きな恩恵となる。松之山に野鳥がたくさん集まるのは必然的な結果と言えるわけだ。
村山さんは愛護会の活動の由来を説明する。「戦後、日本野鳥の会が再結成したのが昭和25年です。2年後の昭和27年に軽井沢で探鳥会が行われ、その帰りに一同が松之山に足を延ばして一泊した。次の朝近くの森を歩いたらたくさんの野鳥が棲息していることに皆が驚いたそうです。松之山は野鳥の宝庫であることが知られ、次の年の昭和28年に新潟県野鳥愛護会東頸城支部が結成されました。それが現在の松之山野鳥愛護会の活動につながっています」
さらに昭和30年、日本野鳥会の全国委員会が松之山の地で開催された。その時に実際に散策しながら鳥を探す「探鳥会」が行われ、その模様がNHKラジオで実況放送されたという。「なんと74種類もの野鳥が観察され、全国的に松之山が野鳥の宝庫として知られることになりました」(村山さん)
昭和28年に松之山での探鳥会開催後、毎年5月から6月の間に探鳥会を行い2024年現在で、すでに68回の探鳥会が行われている。「途中数回の休会があったため、2026年に70回となります。記念事業として大々的に行いたいと考えています」と村山さん。野鳥愛護会としての活動の歴史は古く、実績を積み重ねてきている。
アカショウビン人気の光と影
昭和46年には旧松之山町の「町の鳥」としてアカショウビンが定められた。赤と黄色の体に赤く大きなくちばしを持ち、キョロロロローと鳴く声にも特徴がある。「松之山では昔から多く生息し、私が子どもの頃には隣の家の屋根に止まっていたりしました。ただ、最近では絶滅危惧種までにはなっていませんが、希少種であることは確か。探鳥会でも出会いたい人気種の筆頭です」と村山さんは説明する。
アカショウビンは渡り鳥で、正式にはブッポウソウ目のカワセミ科の鳥だ。冬の間は九州以南、特に東南アジアで生息し、5月から9月の春から夏にかけて日本にやってくる。「松之山には大体5月10日前後にやって来て営巣し、子育てを終えて9月に入るとまた南の方に渡っていきます」(村山さん)
エサはカエルやドジョウなど水棲動物を中心に、昆虫なども食べるという。希少種で美しい鳥なので、人気が高い。それゆえに最近は野鳥を撮影する愛好家の間でも松之山のアカショウビンはとくに注目されている。ただ、それだけに思わぬ弊害に悩まされていると、村山さんは嘆く。
「あまりにも人気が出すぎて、多くの愛好家が押し寄せてくる。カメラを抱えてアカショウビンの姿を撮影するのが目的です。観光的にはありがたいのですが、アカショウビンの繁殖にとってそれが致命的な障害になっている。いまそれが大きな問題になっています」
松之山温泉街の奥にあり、毎年1月15日になると有名な「婿投げ・墨ぬり」の行事が行われる薬師堂。その裏に今年の夏、アカショウビンが営巣した。「5月19日に営巣しているのが確認されました。ところが、それを聞きつけた写真家たちが大挙して押し寄せました。悪いことにすぐ近くに車を停められる場所なので、混雑し警察が出て交通整理するくらい。そういう人たちが四六時中監視しているわけですから、巣作りを続けるのが難しい状況でした」と村山さんは説明する。
ちなみにアカショウビンはとても繊細で臆病な性質なのだそうだ。「同じ科のブッポウソウはとても図太く、巣箱を作ってやるとそれを利用して営巣します。ところがアカショウビンは警戒心が強いので、まず人の手のかかったものを使って営巣しません」と村山さん。本来は人気のないところに営巣するのが、今回はなぜか人目につくところで営巣してしまった。
「30人も40人もの人たちが取り囲み、そのストレスで結局6月14日に営巣を放棄してしまいました」と村山さん。当然、卵は孵化することなく、死んでしまう。「新しい命が誕生し、それがまた松之山に帰ってくる鳥になるはずだったのに本当に残念です」と無念の思いを吐露する。
立て看板で近づかないように告知しても、ほとんど無視されてしまう。じつは営巣放棄に至ったのは今回ばかりではない。「写真を撮りたいというのはわかります。ただし、それで肝心の自然の営みを妨げてしまうのは絶対に避けて欲しい。結局、人間のエゴ、欲望でしょう。どんなにいい写真を撮っても、それによって自然の営みを破壊しては本末転倒だと思います」と、村山さんは怒りの気持ちを隠さない。
松之山での探鳥会が発足してすでに70年近く。じつは昨年の探鳥会ではこれまでに一番多くの鳥を観察することができたという。自然の営みを尊重しながらの地道な活動が実を結んでいる。それだけに、一部心無い人たちの行動に対してはやりきれない思いが募る。
定例探鳥会で25種類の野鳥に出会う!
10月26日、村山さんが案内人となって歩く探鳥会の定例会が行われた。定例会は毎月第4土曜日の午前中に行われている。朝6時、地域活性化拠点施設である「森の学校」キョロロの駐車場に参加者が集まった。前日までの雨も止み、雲間から時折青空ものぞく日和となった。総勢10人、いつもの半数ほどの参加者だという。
駐車場からキョロロの敷地内の森の中の遊歩道を歩き、須山、松口集落の周辺を通って戻ってくる。約3キロメートルのコースを3時間ほどかけて歩く。その間にどれだけの野鳥を観察することができるか? 駐車場で村山さんが説明をしている間も、周辺の森のあちこちでさえずる鳥の声がしている。
「あれ、いまの鳴き声はなんだろう?」と、村山さん。「あっちの森の方から聞こえましたね」。少し甲高いような鳴き声に、参加者も耳を澄ます。と、再び鳴き声が。「あ、あれはニホンジカだね。そうか、いま繁殖期で盛んに求愛しているんだな」と村山さん。ニホンジカは珍しく、いきなり驚きの幕開けで探鳥会がスタートした。
鉄製のキョロロの独特の建物の周りは松之山の森で覆われている。その中の遊歩道を歩きながら、野鳥の姿を追う。ほんのかすかなさえずりに、村山さん以下参加者の人たちは全員耳を澄ます。「モズがしきりに鳴いているね」「いま、別の鳴き声がしましたね」「なんだろうカケスかな」。村山さんと参加者それぞれ、耳を澄まして野鳥の姿を探る。
すると、突然行く手に立つ木と木の間を飛ぶ鳥の姿が。「あ、カケスですね!」「1匹、2匹、ほら、あそこの木の枝に停まった!」。全員カメラや双眼鏡を向けて観察する。
コースを散策しながら、このように時々立ち止まっては聴覚と視覚を研ぎ澄まして、野鳥の存在とその気配を察知する。会に参加している人たちは自ずとその能力に磨きがかかっているのだろう。私にはほとんど聞き取れないような小さな鳥のさえずりをキャッチし、木々の枝に隠れている鳥の姿を素早く発見する。初めて探鳥会に参加したが、わからないなりにもその面白さ、ドキドキ感が伝わってくる。
「あ、ほらアオバトが飛んでいるね」と村山さんの声に全員が行く手の空を見上げる。木々の上を10数羽の鳥たちが飛んでいる。アオバトは群れを作って飛ぶ性質があり、遭遇するのは珍しいという。さらにヤマドリが沢越えをする光景にも遭遇、めったに見られない姿に参加者たちも思わず声を上げシャッターを切る。
ムカゴや虫こぶなど、さまざまな植物の勉強にもなる
探鳥会の楽しみはじつは鳥だけではない。周囲の自然そのものが探索の対象だ。「ほら、ムカゴがたくさんなってる」と、村山さんが突然足を止めて指さした。道に張り出した木の枝に小さな実のようなものが付いている。参加最年少、小学校5年生の髙橋楓さんは喜んで手に取り、食べ始めた。勧められるままに食すると、シャリシャリとして美味だ。
村山さんは森の中の木々や植物にも詳しい。鳥の説明はもちろんだが、さまざまな種類の植物を教えてくれた。「アケビが食べたい」という楓さんに、村山さんは左右の木々に隠れたアケビを見つけて指をさす。残念ながらほとんどが何者かに食べられた後だが、ようやく実の入ったアケビを見つけた。
ただし、枝は少し高いところにあり、道脇の斜面をよじ登らねばならない。ここで父親の髙橋一浩さんの出番だ。「お父さん頑張って」と楓さんの応援に、周囲の人たちも「これはいいとこみせなきゃ」「落っこちないようにね」と口々に声を掛ける。一浩さんは苦戦しつつもなんとかアケビをゲット、楓さんに手渡した。白い綿のような果実の中に黒いタネが並んでいる。指で掬い取りながら楓さんは嬉しそうにアケビを味わっていた。
「ほら、これ食べてみて下さい」と、村山さんが今度は木の葉の上に丸く固まっている実のようなものを取ってくれた。ムカゴのようだが味は違う。ただ、葉の上にあるので本来の木の実ではないようだ。「虫こぶと言って、虫が植物に働きかけて葉や枝の組織の一部がこぶ状に膨らんだものです。この中に幼虫がいてこぶの養分を食べながら育ちます」
一瞬耳を疑ったが後の祭り。思わず戻したくなるが、すでに胃のなかだ。「大丈夫、まだ幼虫ではなく卵の段階ですから、食べても何ともありません」と、村山さんも食べながら笑っている。それにしても、虫こぶの自体も、それを食べることも初めての体験だ。
調べてみると虫こぶは「虫癭(ちゅうえい)」とも呼ばれ、ハチやハエなどの昆虫や菌やダニ、線虫などが寄生することで植物体の組織が異常増殖し、こぶのようになったものを指す。なんとも薄気味悪いが、こぶ自体はほとんどが植物組織なので食べても問題はないのだろう。とにかく食べてしまったからには大丈夫と断言する村山さんを信用するしかない。
森に囲まれたキョロロの敷地は広く、その森のなかに総延長約6㎞もの遊歩道が設けられている。今回はその一部を歩き、敷地から出て美人林のある松口集落を回って戻ってくる。途中の沢にはカルガモが泳いでいる横で、セグロセキレイが水浴びをしている珍しい姿なども目にすることができた。
最後に再びキョロロの駐車場に戻った一行は、この日見ることができた野鳥を皆で確認した。今回確認された野鳥は以下の25種だった。
ヤマドリ、カルガモ、キジバト、アオバト、コゲラ、アカゲラ、アオゲラ、モズ、カケス、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ヤマガラ、ヒガラ、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、ゴジュウカラ、カワガラス、スズメ、セグロキセキレイ、カワラヒワ、イカル、ホオジロ、カシラダカ
「定例会は毎月行っています。基本的にどんな天候でも決行します。ただ、過去に一度だけ、突然の大雪で車が動けず中止になりました。それを除いては雨の中でも雪のなかでも行ってきました」と村山さんは話す。松之山愛鳥愛護会とその活動である探鳥会と定例会は、松之山の隠れた名物行事だと言えるだろう。
美しさ、巧みさ、不思議さ──自然に触れ、その豊かさを体感する
村山暁さんは大学を卒業してしばらくは千葉県で中学校の理科の教員を務めていた。「本来は物理の専門でした。暗記が苦手で数学や物理のように公式や法則が分かっていれば答えが導かれる世界が合っていた」と話す。ところがある日、生物を教えているときに転機が。「ミヤマカタバミという植物を生徒に教えるのに、自分自身見たこともない。生徒に教える立場なのに、これではダメだと。実際に実物を知るために外に出るようなった」
ちょうど同じ理科の同僚から「野鳥の会ができるから入らないか」と誘われて、創設にかかわる。そこから本格的に自然と向き合う時間が増えて行ったという。「最初は甲虫、蝶々にハマりました。標本づくりに熱中してたくさん集めました」と語る。
それまで物の理、つまり物理の数式の世界を専門にしていた村山さんは、現実の自然の世界の中に足を踏み入れた。「外に出て、自然に触れながら感じたのは、まずその美しさでした。なんて美しくきれいなのだろうと」。さらに自然の巧みさに魅かれたと村山さん。「植物や昆虫、動物たちが、それぞれの立場で互いに利用し合い、競争し合い、ときに協力し合いながら見事に調和しています。自然を知れば知るほど、その巧みさに感嘆するのです」。
いつしか森の中を歩き回り、木々や植物、虫や鳥などの生き物たちの生態を深く知り、学ぶようになった。ただ、知れば知るほどその美しさと巧みさの秘密は深まっていく。「どれだけ知識や経験が増えても、自然の不思議さは無くなるどころか増えていくばかりなんですね」
「美しさ。巧みさ。不思議さ。この3つが私がこれまで向き合ってきた自然の魅力であり、本質なんです」と村山さんは力を込める。「この3つがあるから、いくつになっても森の中を歩き、つねに驚き、楽しみ、学ぶことができる。探鳥会を通じて、できるだけ多くの人に自然の魅力を知ってもらいたいですね」。
自然の美しさと巧みさ、そして不思議さを知れば、人は自ずと自然を尊重するようになる。「人間も自然の一部でしょう。自然をないがしろにすることは、結局自分自身を傷つけ、首を絞めることになるのです」と村山さん。営巣中の野鳥を無理やり撮影して、どんなに珍しい写真を撮ったとしても、残念ながら自然の本質である美しさ、巧みさ、不思議に迫ることはできない。村山さんの言葉の裏には、そんなメッセージが込められているように感じた。