「ひなの宿ちとせ」で出されている「棚田鍋」。重湯ベースのスープに合鴨の肉団子、キノコや大根おろしなどで、深みがありながらもあっさりとした絶妙の味わい。

地元の自然の恵みと歴史から生まれた棚田鍋

とろみのあるスープで体の芯から温まる感じがする。山菜の風味と合鴨団子の肉汁が素朴で懐かしい。「棚田鍋」はまさに松之山に自然とその恵みが凝縮されている。
「棚田でとれた魚沼産のコシヒカリを使った重湯をベースにしているのが特徴です。松之山温泉の旅館などが共同で開発し、『棚田鍋』と命名しました」
と話すのは旅館「ひなの宿ちとせ」の社長で、合同会社「まんま」の代表も務める柳一成氏だ。重湯ベースと棚田に積もった雪をイメージした大根おろし、おこげ(または米粉せんべい)の3つは共通として、具材や味付けは各旅館それぞれのオリジナルだという。
合同会社「まんま」は2008年、松之山の旅館や飲食店の経営者らが共同出資して設立された。
大手代理店まかせの旅行企画だと、結局旅の内容も画一的で表面的なものになる。商業主義的な視点からの企画では、本来の地元の歴史や自然、それらから生まれたその土地の食に触れる旅を満喫することができない。
「お客さん自身、そのような旅を望んでいません。また温泉旅館も大手代理店に任せきるなかで、自分たちの地元や地域の価値を見失っていた。それらを取り戻すべく、もう一度地元や地域の価値を認識し、それを発信したい。志を同じくする松之山の7つの温泉旅館と飲食店が集まりました」(柳氏)
「棚田鍋」はそのような動きの中、最初に松之山の風土に根差したメニューとして作られた一品だ。
「コンラッドホテルの元総料理長である齋藤章雄さんを招いて料理指導をしてもらうことになりました。齋藤さんは最初、料理の話など一切しません。松之山という地域の歴史と独自性はどこにあるか。まずそこからしっかりと検証し、地元にしかないストーリーとコンセプトを作ることが先決だというのです」
齋藤さんを交えながら「まんま」のメンバーたちによる地元の特徴と強みを再認識するための話し合いが続いた。それまでの温泉旅館の食事は地元のオリジナルなものではなく、全国の旅館の食事のスタンダードに合わせることが良しとされていた。
「山間の温泉地なのに築地から仕入れたマグロの刺身やカニなどをメニューに入れたり……。いわゆるスタンダードな温泉地の夕食という固定観念から離れられていませんでした。大手代理店主導のもとでは、そうなってしまいがちです」と柳氏。
温泉の恵みとその土地の歴史を踏まえながら、松之山でしか食べられないオリジナルの料理を生み出す。コンセプト作りから始まり、試行錯誤が始まった。重湯をベースにした鍋は全国どこにも見当たらない。また、重湯は炊き残ったご飯を利用する点で「もったいない精神」の現われでもある。
魚沼という米どころ、棚田という中山間地ならではの米作りが連綿と続いてきた。地すべり地帯でもあった山間地帯で稲作を続けるには、棚田を作り、水と土の自然環境を保持しながら、持続的で循環的に農耕を行う必要がある。
それこそ山深き松之山の歴史であり、先人たちの汗と苦労の集積だ。そのストーリーを一つの鍋として具現化する。松之山でしか食べられない「棚田鍋」が、次第に形になっていった。

地元の良さを地元の人が再認識するところから始める

ただし、地元の人間にとって、改めて地元の良さ、独自性を考えるのは意外に困難だった。そもそも、自分たちがふだん家で食べているものなど、お客さんに出せるものではない、出すべきではないという先入観がある。
この地方の伝統食として『塩の子』というものがある。神楽南蛮を細かく切り刻んだものに、塩と麹を入れて発酵させたもの。この地域では昔から農家の人たちが自分の家で作り、ナスやキュウリなどの野菜を漬けて食べていたという。
「塩の子を鍋に添えて適宜調味料として使ってもらうことを考えました。ところが地元の人に言うと『そんな地味な家庭料理をどうしてお客さんに出せるか?』という反応でした。何とか説得して、ある農家のレシピを教えてもらいました」
地元の人は当たり前で、つまらない料理だと思っているものが、じつは都会や異国から訪れた人たちにとっては新鮮で驚きでもある。また素朴で自然な味わいはスーパーでも高級割烹でも味わえない独自性がある。
旅行者にとって、その独自性と多様性、異質性に出会うことこそがだいご味であり面白さだ。地元の人たちと旅行者との認識のギャップを如何に埋めるかが柳氏の役目でもあった。
その一つが重湯であり、塩の子であった。棚田鍋の脇に添えてある塩の子を一つまみ鍋に入れて食すと、それまでのスープとまた一味違った風味になる。旅行客の中には塩の子の味が気に入って「お代わり」する人もいるそうだ。
現在「棚田鍋」は柳氏の経営する「ひなの宿ちとせ」の他、「野本旅館」「和泉屋」「旅館明星」4つの旅館で出されている。
「重湯ベースを基本として、妻有ポークや合鴨農法で使われた合鴨の肉などを使い、各旅館ともそれぞれ個性を出しつつ、この地域の産物、自然や歴史が伝わるような鍋を工夫しています」と柳氏。
開発から10年そこそこだが、棚田鍋は松之山の定番料理として、古くからある伝統料理の様に紹介されるようになってきたという。


「和泉屋」で供されている「棚田鍋」。「塩の子」と「しょうゆの実がついている。


「野本旅館」のカキが入った棚田鍋。


「旅館明星」の棚田鍋。キノコと鶏肉の相性がよい。

「朝まんま」と「おつまみ前菜」を開発する

棚田鍋を開発後、柳氏ら「まんま」のメンバーはさらに旅館の朝食、酒のおつまみと独自料理の開発を進めた。
「それまで旅館では夕食に力を入れますが、朝食は後回しという感じが強かった。米どころであるということを考えて、まだあまり注目されていない朝ごはんを充実させようという『朝まんまプロジェクト』が発足しました」
前出の齋藤さんを同じくアドバイザーに開発が進められた。春はフキ味噌ベースの「山菜朝まんま」、夏はナスやみょうが、キュウリなど夏野菜を切り刻んだ「やたら朝まんま」、秋はキノコ味噌の「キノコ朝まんま」、冬は自然薯を使った「とろろ朝まんま」を開発した。
また、「おつまみ前菜」として、松之山としてお酒のアテになるものを作ろうという動きも生まれた。「あんぼ」は米粉を利用して作られた伝統保存食。魚沼産コシヒカリを使った皮でアンなどを包んだもの。「」は県内産大豆100%の宮内の豆腐を、みそ「まんまの味」に約1カ月間漬け込んだもの。この「まんまの味」は「まんま」メンバーがご飯のお供として開発したもの。「味噌」「しょうゆの実」「塩の子」「酒粕」といった地元の食材を合わせて作ったものだ。


地元の食文化を守り伝えるという意思の元、地元農家と加工グループ、そして「まんま」グループが提携してつくられた「前菜プレート」。左から米粉を利用した伝統保存食「あんぼ」、豆腐を発酵みそに漬けた「」、松之山の源泉を利用し低温調理した「湯治豚」、そして旬の野菜を野菜で炊いた「菜々煮」。

松之山の源泉による低温長時間調理で生まれた絶品

「朝まんまプロジェクト」と「おつまみ前菜プロジェクト」の中で生まれたのが「湯治豚」だ。津南、十日町の養豚業者が育てるブランド豚「妻有ポーク」を、松之山温泉の熱で真空低温調理する。
「通常たんぱく質は63℃で凝固し始め、68℃で水分分離が始まります。この間の温度で加熱調理すれば、ジューシーで柔らかい肉ができる。それには松之山の源泉を使うことが一番。地元の温泉と地元の豚肉、まさに地の利と恵みで生まれたのが『湯治豚』です」(柳氏)
「ひなの宿ちとせ」の玄関脇に引かれた源泉調理槽に真空パックされた肉を3時間浸す。それを冷蔵庫に入れ数日間熟成させる。発酵によってアミノ酸が増え、さらに肉は柔らかく豊かな味わいのあるものになった。
「何回も試行錯誤を繰り返し、いまの形に落ち着きました。最初は酒のつまみとして『温泉ハム』として出していました。お客さんの評判も上々で、いっそ最高級のブランド肉で最高においしい肉を追求しようと、現在の湯治豚が誕生しました」
この湯治豚も棚田鍋同様、4つの旅館で出されている。肉そのものの味を素朴に出すもの、野菜などと一緒にヘルシーな一品として提供するものなど、旅館ごとのオリジナルが強調されている。
「ひなの宿ちとせ」ではランチメニューとしてこの湯治豚をふんだんに使った湯治豚のお重が人気だ。低温長時間調理と熟成でうまみが最大限に引き出された豚肉は、それまでの豚肉のイメージが変わるほどの柔らかさとジューシーさ。濃厚なタレと魚沼産コシヒカリとのコラボレーションも絶品だ。


「ひなの宿ちとせ」のランチで提供されている「湯治豚」のお重。低温長時間調理して柔らかくジューシーな豚肉のうまみが山盛りのぜいたくな一品。


「和泉屋」の湯治豚はバラ肉部分をあぶったもの。


「野本旅館」の湯治豚は素材の味で勝負。


「旅館明星」の湯治豚は野菜がふんだんに入ってヘルシー。

新しい観光価値を作り出し、地元密着の旅と食を追求することは、すなわち自分たちの土地の自然と歴史、生活と向き合うということに他ならない。この地に住み生活してきた自分たちは何者であるか? その認識と誇りがそのままその地の価値となり、観光資源となる。
「活動を通して旅館同士だけでなく、生産者の人たちとつながりが密になりました。お互いに自信と誇りを持って仕事をすることができるようになったのが大きい」と柳氏。
真に価値あるものは私たちの足元にある。その価値に向き合い、訪れた人たちと共有する。それによってさらにその土地を活かし魅力あふれるものにしていく──。これからの観光、旅のひとつのあり方なのかもしれない。