温泉街の奥の高台にある薬師堂でのMINTのライブ

残暑の陽ざしが強く降り注ぐ中、松之山の静かな温泉街はジャズの響きと人で溢れた。9月7日、松之山温泉街で松之山温泉JAZZストリート2019が開催された。今年で7回目となる同フェスティバル、今回は4組のアーティストが集結し、華麗な演奏を披露した。
13時から15時までが温泉街各所でのストリートライブ、15時からは温泉街の中央に作られたメイン会場でのステージライブだ。
細長い松之山の温泉街を流れる湯本川に沿って上流に向かって進む。湯煙をあげる湯櫓を通り過ぎると、左手に不動滝が流れ落ちている。前方の斜面の中腹に真っ黒な牛の形をした大きなオブジェ、ブラックシンボルが見えてきた。
3年に1回、越後妻有地区(十日町市、津南町)で「大地の芸術祭」が行われる。昨年、2018年に行われた同芸術祭で、スペインのアーティスト、サンティアゴ・シエラ氏がこの松之山の地が気に入り、作成したものだ。
そのオブジェの右側に薬師堂がある。急な坂と階段を上ったところにたたずむ薬師堂は、毎年1月15日、婿投げが行われる場所でも知られる。その薬師堂でこの日最初のストリートライブが行われた。
MINTは新潟市にあったジャズの老舗「パルディア」でのレギュラー出演をきっかけに結成されたアルトサックス、ピアノ、ベース、ドラムの4人組だ。
薬師堂の古い建物の中で、モダンジャズの演奏を披露する。一見するとミスマッチだが、これが不思議なほどに合う。サックスの艶やかな音色と、ピアノの軽快な響き、そしてベースの落ち着いたリズムが、小さな薬師堂を包む。
冬の間は深い雪に覆われ、婿投げの場所となる急な階段を登って、演奏中も観客が集まってくる。気が付くと薬師堂の前は50人を超える人だかり。薬師堂から響くジャズの音色にすっかり引き込まれていた。


急な階段を登って次々に薬師堂に人が集まる。1月、雪深いこの斜面で婿投げが行われる


薬師堂がそのまま舞台に

次に行われたのは温泉街の奥まったところにある、消雪小屋の前の空きスペースでのSWING BROTHERS BIGBANDのライブだ。
観客はすでに道路を挟んだ旅館の前にずらりと並んでいる。テントの下でバンドのメンバー数人が演奏を始める。
1983年に新潟市で結成された同バンドは、アマチュアとプロが混合したもの。大人数でのスイング演奏で人気がある。メイン会場での演奏では約20名の大所帯だが、その前に行われるストリートでは、4~5名での演奏だ。
サックスを中心にした軽快な演奏で、道行く人たちも足を止めて思わず聴き入る。温泉街のメイン道路を挟んでのライブは、これまた不思議な異空間。老若男女、さまざまな観客が集まるのはまさにストリートの醍醐味だろう。普段の松之山温泉には感じることのできない、非日常の時間を楽しんでいた。


消雪小屋まえのスペースを舞台にしてのSWING BROTHERS BIGBANDのメンバー数人によるストリートライブ


「地炉」で行われた小林桂さんのストリートライブ。真夏を思わせる暑さの中だが、その歌声に思わず引き込まれる

薬師堂近くにある湯守処「地炉」は2006年、築100年以上の古民家を改装してできた体験施設。入り口に温泉を利用した足湯があり、中には大きな囲炉裏がある。ストリートライブの最後を飾る小林桂クインテットの演奏が、この「地炉」で行われた。
10代より東京都内のジャズクラブで演奏活動をしていた小林桂さんは、20歳でスイングジャーナル誌の人気投票で男性ジャズヴォーカリスト部門の1位に輝いた経歴の持ち主。
同年、アルバム「ソー・ナイス」で「20歳の天才ヴィーカリスト」としてメジャーデビューを果たす。その後も日本ジャズ・ヴォーカル大賞、日本ゴールド・ディスク大賞など数多くの賞を受賞している。人気、実力ともに高く、今回のライブの目玉だ。
14時10分スタートにもかかわらず、「地炉」には早くからお目当ての人たちが集まった。真夏のような暑さの中、演奏が始まる。最初の曲はルイ・アームストロングの名曲「what a wonderful world」(素晴らしきこの世界)。
「木々の緑やバラの赤い花、青い空……、この自然の何気ない姿が、じつはそれだけでどれほど素晴らしいか。そんな世界の素晴らしさを歌った曲です。ちょうどこの松之山の豊かな自然と重なりますね」と小林さん。透明感のある柔らかい声、心に染み入るような歌声に、観客は酔いしれた。


「地炉」は築100年以上の古民家を改装して作られた体験施設。囲炉裏に太い梁……、古民家ならではの雰囲気のなかでのライブ


温泉街の中心地に作られたメイン会場でSWING BROTHERS BIGBANDの大編成がスイングジャズを披露した

MINT、SWING BROTHERS BIGBAND、小林桂クインテットいずれも15時からのメインステージ会場での公演を控えている。その前に、ストリートライブとして20分という短い時間だが、温泉街の各所でライブを行った。
ストリートライブのよさはなんといっても観客との密着感だろう。そもそもイベント名が松之山温泉JAZZストリート。ストリートでの公演こそメインだということもできる。
「15時からのメイン会場でのライブは有料ですが、その前のストリートライブに関しては無料です。少しでも多くの人に楽しんでいただきたい。お客さまは地元や県内だけでなく、県外からもたくさんみえています」と、松之山温泉組合長で松之山温泉JAZZストリート実行委員長の柳一成氏は話す。
柳氏にとって特に今年のイベントはこだわりがある。それは薬師堂でのライブ。なぜわざわざ温泉街の奥の、長く急な階段を登ったところにある薬師堂でライブを企画したか? 実は昨年も企画したが雨になり、足場が危険だという事で中止になった。その結果、今年が初めての試みとなった。
「草津温泉、有馬温泉と並ぶ日本の三大薬湯として知られる松之山温泉は昔から湯治場として歴史がありました。源泉は1200万年前に地殻に閉じ込められた海水で、化石海水温泉と言われますが、その温泉に入って温まる。そのあと薬師堂でお参りをして病気の治癒を祈願する。温泉と薬師堂はセットでした」(柳氏)。婿投げだけでなく、その意味で薬師堂は松之山温泉の象徴。その薬師堂でライブをやり、人を集めたいという思いがあったという。


同じくメイン会場で行われたMINTの公演


会場には県外からのお客さんも多数つめかけた。家族連れや仲間で来る人もいれば、単独で参加する人など、老若男女でほぼ満席となった

メイン会場でのライブコンサートは15時から。会場前の受付でお金を払う。当日は3000円、前売りは2500円(いずれも屋台利用券、温泉入浴券付き)。受付の脇にはテントを巡らせた屋台村があり、飲み物や軽食などを販売している。
その中にSTAFFと書かれた黄色いベストのようなものを身につけている若い人が目立つ。運営の手伝いをしているNPO法人「国際ボランティア学生協会」の若者たちだ。
「地元の人は自分のお店をやったりしていて忙しい。昨年から学生ボランティアをお願いして、客の誘導や出店などの手伝いをお願いしています。会全体も若い人がいる方が盛り上がりますし、学生さんにとっても良い体験になるようです」(柳氏)
勝俣瑞歩さんは中央大学3年生、大原綾都さんは国士館大学2年生。二人とも今回初めて松之山に訪れた。
「東京に比べると静かで落ち着いていていいところだと思います。将来はこんな場所で暮らせたらと思いました」「ボランティアでお手伝いさせてもらって、とても楽しく、貴重な体験をすることができました」と屈託なく話す。
若いパワーが温泉街とイベントをいっそう活気あふれるものにしてくれているようだ。


会場の受付周辺は屋台なども並び、多くの人で賑わった


今回運営の手伝いとして東京から参加した大原綾都さん(左)と勝俣瑞歩さん(右)


jajaの秋山幸男さんによる体全体を使ってのサックスの演奏。そのテクニックと迫力に圧倒された


新潟市での公演の間に空いた日を利用して、突然参加を自ら申し出た。ノーギャラの演奏とは思えないjajaの迫真のパフィーマンスに観客から盛大な拍手が

じつは今回、突然飛び入り参加のバンドがあった。それがjajaだ。
「昨日、新潟市で公演があり、明日また新潟市での公演予定があります。今日一日がぽっかり空いていた。ネットで調べたら松之山温泉JAZZストリートが行われるということで、急きょ事務局に連絡して演奏させてもらえないかとお願いしました」と、同バンドのリーダーでサックス担当の秋山幸男さん。
急な話しなので他の演者とは異なり、ノーギャラでの出演となった。出番前の秋山さんいわく、「とにかく一生懸命jajaの演奏をして、気に入っていただけたなら来年から正式にオファーしていただければありがたい。松之山温泉の活性化のためにも必死でやりますよ」。
このjajaの演奏が圧巻だった。超絶テクニックのサックスはもちろん、ピアノやギターの演奏も素晴らしい。素人が聴いてもその迫力、熱意と気合が伝わってくる。秋山さんの人間技とは思えない息継ぎなしのサックスの演奏に、満席の会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
そもそもjajaは2004年にホリプロからデビューするといきなりHMVのJAZZ部門、ネット予約第1位を獲得。発売2週間セールス1位の記録を作っている。2007年にはアドリブアワード国内ベスト・ジャズ・フュージョン賞を受賞。ドイツやマレーシア、香港など国際的にも大絶賛を浴びている気鋭のバンドだ。
秋山さんは、「全国を演奏して回っていますが、特に新潟には縁が深い。新潟市だけでなく長岡市や新発田市など、2か月に一度は新潟で演奏しています。ぜひ松之山でも常連になりたい」と意気込みを語ってくれた。
プロ意識と実力を兼ねた演者が揃う松之山温泉JAZZストリート。今年も盛況のうちに終了した。松之山の山間の豊かな自然と一流のJAZZのコラボレーション。他所では味わうことのできない贅沢で幸せな時間を体感できた。