1200万年という途方もない時間、地殻に閉じ込められ温められた海水が湧きだす松之山温泉。日本三大薬湯として全国的にも知られるが、さらに魅力的な温泉街を目指したい。そんな熱意が一つの形となってスタートした。
温泉を楽しむだけでなく、新潟の地酒が堪能できる温泉街に──。5月22日、松之山の宿泊&飲食施設「醸す森」で松之山温泉組合による「地酒を楽しむ(醸す)温泉街」が宣言された。


十日町市が所有していた「おふくろ館」を2年前に玉城屋が購入し再生、「醸す森」として洋風のおしゃれな施設としてスタート。今回の「地酒を楽しむ(醸す)温泉街」宣言が行われた。

同宣言の大きな原動力の一つになったのが、第4回旅館甲子園で松之山温泉の「酒の宿 玉城屋」がグランプリを受賞したこと。全国旅館ホテル生活衛生同業組合の加盟施設1230旅館の中から、「経営者のビジョンや経営方針」「スタッフ教育や目標共有」「地域貢献」など様々な角度からその年のグランプリを選出する。2月20日、東京ビッグサイトで決勝戦が行われ、同旅館を含め、最終審査に残った3旅館がプレゼンを行った。10名の審査員と1000名の来場者の投票の結果、見事玉城屋が栄冠を勝ち取った。
同旅館が目指すのが日本酒とフレンチのペアリング。温泉だけでなく地元の食材を使ったフレンチに新潟の地酒を組み合わせ、新たな旅の魅力を利用者に提供する。その動きが今回の宣言につながっている。


2年半前に山岸裕一は玉城屋旅館を継ぎ、「酒の宿 玉城屋」としてリニューアルした。

「醸す森」の大きな窓に広がる松之山の山並が、傾きかけた日差しの中でしだいに陰影を増していく。午後4時、会の趣旨説明が終わると、「酒の宿 玉城屋」の代表取締役山岸裕一が挨拶。第4回旅館甲子園グランプリ受賞の報告を行った。
「スタッフ13人で、自分たちの目指すものを率直にプレゼンしました。ありのままの私たちの思いや姿を審査員や来場者の方々に評価していただくことができました」
高校を卒業して東京の大学に入学。その後東京で就職し10年ほど地元を離れていたが、地元に戻り2年半前に実家の玉城屋を継いだ。
「新潟と言えばお酒。日本酒を地元の食材とともに存分に楽しめる宿にしたい。ブログやフェイスブック、インスタグラムなどで自分の思いを発信していると、全国からいろんな人たちが興味を持って集まってきてくれました」


「醸す森」で全国旅館甲子園のグランプリ受賞を報告する山岸裕一。

ITやシステムに詳しい人物、全国利き酒コンクールで3位になった若い女性や語学に堪能な女性、山や自然が大好きだという人、ワインに詳しく平日は東京などでワインを飲み歩き、金曜から日曜日まで同旅館で仕事をする人物。それに十日町出身で2つ星レストラン「リューズ」(東京・六本木)のシェフ飯塚隆太氏の弟子栗山シェフが、地元食材を活かしたフレンチに腕をふるう。
「『好きなこと、得意なことを仕事に』が私たちのモットー。日本酒を楽しめる宿というコンセプトのもとで、それぞれのスペシャリストが得意分野で力を発揮する。そういう集団を目指しています」

完全週休2日で1年に1回10日間連続休暇が取れる。その間にリフレッシュし充電したことをまた玉城屋での仕事にそれぞれが活かす。「働き方改革」をすでに先回りした経営だ。
「これからの宿は単独では戦えません。温泉宿、温泉街が一丸となって発信しなければ。それには各宿が自分の特徴を前面に出し、その上で地域の魅力をみんなで考え表現していく必要があると思います」


「地酒を楽しむ(醸す)温泉街」宣言に山岸裕一(左)、高崎経済大学の井門隆夫教授(中央)、松之山温泉合同会社まんま代表の柳一成(右)が揃った。

山岸さんに続いて、高崎経済大学地域政策部観光政策学科教授の井門隆夫教授がスピーチした。井門教授は旅館甲子園の審査員も務めた。
「私自身は玉城屋さんの取り組みは知っていましたが、正直、下馬評ではほとんど注目されていませんでした。それが決勝でプレゼンを聴いた多くの人が、こんなに面白い旅館があるのかと驚いた。ひとつは若いスタッフがそれぞれ特技と個性を活かし自由に働いていること。もう一つは地域に溶け込み、温泉街全体として活性化に取り組んでいること」


井門教授は玉城屋のグランプリを受賞の裏舞台を話した。

最後に今回宣言の発起人で、松之山温泉合同会社まんまの代表であり、ひなの宿ちとせの代表取締役でもある柳一成が「酒を楽しむ(醸す)温泉街」宣言を行った。
「松之山を日本酒が楽しめる温泉にしたい。玉城屋の取り組みを温泉街全体に広げていく。そのために『日本酒ナビゲーター』という制度を取り入れました。利き酒師という資格がありますが、そこまで専門的でなくても、どんな日本酒をどう飲めばいいか? どんな食事にどの酒が合うかなど、日常のお酒の飲み方を提案できるレベル。温泉街の人たちがまず『日本酒ナビゲーター』となり、お客さんをナビゲートできるようにしたい」


関係者や地元の記者など約20名が集まった会で松之山温泉の新たな可能性に言及する柳一成。

じつは山岸裕一は酒匠という資格を持っていて、2018年の世界利き酒コンテストでファイナリストにもなっている。その山岸裕一が中心になって日本酒ナビゲーターを養成する。2月に行われた「松之山温泉ふぇすてぃBAR」では、立教大学の学生たちが山岸裕一の講義を聞き、日本酒ナビゲーターと認定された。
「松之山温泉街と各温泉宿がそれぞれ特色を明らかにして、ストーリーを蓄積することが大事。日本全国、世界の人々に松之山がどんな所でどんな温泉があるか知ってもらう。それによって宿とお客さんのミスマッチを減らす。ベターマッチ、ベストマッチを実現することでリピーターを増やすことができる」と柳一成。
日本酒を楽しめる温泉街。まさに一つのストーリーの始まりだ。


苗場酒造とコラボして作った松之山の酒「kamosu mori」を手に説明する山岸裕一。

「いろんなイベントに日本酒を絡めていきたい。その他にも交通インフラとして湯沢─清津峡─松之山を結ぶバス『豪雪ライナー』の運行を昨年から開始しています。また、温泉蒸気を利用したバイナリー発電にも取り組む予定です」
すでに日はすっかり山並に隠れ、窓の外には夜の帳が下りてきている。宣言が終了すると、懇親会に移った。先ほどの山岸裕一がお勧めの日本酒を並べ、参加者に振舞った。
「日本酒を楽しめる温泉ということで、松之山オリジナルの日本酒を作りたいと考えました。地元の苗場酒造さんと提携し「kamosu mori」という銘柄のお酒を作りました。ぜひ飲んでみて下さい」


酒匠でもある山岸裕一がこの日のために厳選した新潟の地酒が並ぶ

奥のテーブルには「うどのピリ辛パスタ」「黒毛和牛ホルモンのゼリー寄せ」「豚肉のリエット」「白レバーのムース~越後姫とビーツ」など、地元の食材をふんだんに使った料理に参加者は舌鼓を打ち、日本酒を楽しんだ。夜が更けるまで会場の盛り上がりは続き、松之山の新たなストーリーの誕生を実感する時間となった。


懇親会に入って用意された料理に手を伸ばす参加者たち


地元の食材をふんだんに取り入れた料理と新潟の地酒を楽しむ