日本三大薬湯と称される、良質な温泉街の賑わい。
農業の効率化が難しいとされる、棚田の景観、資源としての魅力再発信。
ブナ林保全による、農山村の景観維持。
農業と観光がうまい具合に調和している。

この松之山の魅力は、決して2~3年で築けるものではなかった。
10年、20年、30年と、未来を想い、未来を創るため、先人の行動から築かれてきたものが現在の松之山の姿だ。

今回のお話は、2005年に十日町市と合併した「松之山町(まつのやままち)」の最後の町長である、佐藤利幸さんから、松之山が魅力的な土地になるまでの軌跡を伺った。

元松之山町長の佐藤利幸さん

町長になることで、地域課題と向き合う

松之山農協の組合長1期と、議会議員を3期ほどやってきたという佐藤さん。任務を全うしながら、地域課題に地道に挑んできたものの、「食の魅力発信」に力を入れられてないと感じていた。

地域課題というと、誰にでも1つや2つ発見し、解決方法を口に出せるかもしれない。しかし、佐藤さんの「誰にでも」と違うところは、地域課題へのアプローチとして「町長になることで、課題解決の手段になるんじゃないか」と実際に行動を起こし、実現したところだ。

佐藤さんは当時のことを淡々と静かに語っていたが、地域に対する想いや地域住民との信頼と実績がなければ、「松之山の町長」というミッションに就くことはできなかったはずである。

当時「観光と農業」というセットで、「地域をおこす」という市町村は少なかったが、町長になった佐藤さんは、意識していた「食の魅力発信」を農業と観光の調和で力を注いでいこうと考えていた。

松之山町長時代の佐藤さん

観光と農業の調和で地域の存続を

「他の市町村では観光に力を入れているところはそれほど多くなくて、松之山の場合は松之山温泉があったから観光という要素があったんだ。観光だけなら『経済』は有利な状況になるかもしれないけど、『経済』だけではこの土地から人が出ていってしまう。農業があるからこそこの土地に定着する。観光だけでも良くないし、農業だけでも良くない。農と観光の両方が必要だったんだ。」

佐藤さんはこう考えていた。観光だけでは地域に土着する人が少なく、消費されていくだけの「資本主義」要素がどうしても濃くなってしまうが、土着することでしか創り上げられない農業を掛け合わせることによって、地域への「土着」と「経済」を結ぼうと考えた。どちらに偏りすぎても地域を本質的な意味で継続することは難しいという、未来を見据えた地域おこしを実現しようとしていたのだ。

淡々と静かに話す佐藤さん

そして、町長になる一年前に出逢ったのが、イギリス出身の、写真家ジョニー・ハイマスさんだった。

「現在は”全国棚田サミット”というものを毎年やっているけど、第一回目は四国の高知県梼原町でやったんだ。でも実は、前年に松之山で同じようなことをしていた。だから実際は松之山が第一号と言ってもいいかもしれないね。どうして松之山で開催されたかというと、ジョニー・ハイマスさんが火付け役となってくれたからなんだ。」

ジョニー・ハイマスさんは、棚田の美しさを表現した写真を撮り、写真集を数冊出版しているが、ちょうど佐藤さんが町長になる前に松之山で出会い、棚田の魅力に気づかせてくれたという。

現在の棚田のイメージが「美しい」「未来へ守ろう」とされているのは、ジョニー・ハイマスさんが「棚田写真」のブームの火付け役となり、棚田は写真家たちによって「美しい」と称されるようになったからでもある。
そういった原点から文化的な価値も高められつつ、環境保全効果もあり、多面的な機能で棚田の魅力が再発見され、生産者の農業の誇りを徐々に取り戻していくことで、「農業と観光」が調和され、次世代へと繋がれている実例につながっている。

ジョニー・ハイマスさんの在日30周年出版パーティーでお話しする佐藤さんの様子

「美人林」になるまでの「ブナ林」は佐藤さんの想いから生まれていた

松之山の代表する資源「美人林」にも、棚田と同じく「価値が低い」と呼ばれる時代があった。

「松之山にはブナ林がだいぶあったんだけど、だいぶ伐採されちゃってね。伐採されているところを目の当たりにして、ブナ林をちゃんと残していきたいと議員の時からずっと思っていたんだ。だけどブナは個人の財産だから町でこうしなさいっていうのはむずかしいことだった。それでも松之山には『ブナが必要なんだ』って、町長になってからブナ林条例を作ったんだ。杉林を植林した方が経済的な観点で見たらいいかもしれない。だけどせっかく綺麗なブナ林を経済的な視点で壊したくないと思ったんだ。」

平成8年に施工されたブナ林条例とは、ブナに代表される広葉樹林を美しい農山村の景観を形成し、人々に憩いと安らぎの場を与えていることを認識し、町が一体となって保護や育成に努めるとともに、生産・観光資源として有効活用し、ふるさと作りを行うこと目的とした条例である。

この選択に踏み切るには「経済的」な賛否を浴びながら踏み切ったに違いないが、佐藤さんの未来を捉える目のつけどころは「一時の経済指標」にとらわれないことだ。
当時、樹木は建築材としてのみ評価される場合に、ブナは「利用価値の少ない木」とされてきたが、一方で土砂崩れを防いでくれたり、野鳥の生息地として生態系を維持してくれたり、経済とは違った観点で人間の生活に寄り添っている。

そのような魅力を再発見し、発信していったことで、「美人林」という名称が付けられ、全国から写真家が集まるような美しい現在の姿となった。

松之山に訪れる人との出逢い。松之山の資源の魅力の再発見。
そして、佐藤さんの未来を捉える目が織り重なり、現在の松之山のストーリーの背景がここに創られていたのだった。

語り手:佐藤利幸さん
松之山生まれ、松之山育ち。松之山農協の組合長1期と、議会議員を3期を経て、松之山町長を3期務めた。