六角形に折られた独特の包装の「薬湯山塩」(888円税込み)。松之山温泉の源泉を煮詰めて塩にした。

起業家セミナーでグランプリを獲得、商品化へ

六角形に包装された表に「鹽」と大きく書かれている。
「塩」の旧字体だそうだ。上には「日本三大薬湯 松之山温泉」その下には「薬湯山塩」と書かれている。
松之山温泉は約1200万年前の海水が地層に閉じ込められた「化石海水」が、地下で高い圧力を受け、高温となって噴き出している「ジオプレッシャー型温泉」。
日本三大薬湯と呼ばれるだけあって、その含有成分量は基準値の16倍もある。
その薬効あらたかな松之山温泉を煮詰めて作られた希少な塩が、2021年3月、商品化され話題となった。
なめらかで甘みがあり、深い味わいが特徴だ。なにより1200万年前の化石海水なので、マイクロプラスチックなど人工的な汚染物質が一切混じっていない。
価格は10gで888円。かなり高価だが、それだけの価値がある塩だ。

1200万年前の化石海水を煮詰めて作られた塩は究極のナチュラル食品だ

商品化に成功したのが「まつのやま塩倉」のメンバーたち。発案したのはメンバーの一人である嶋村彰氏だ。
松之山で農業を営む嶋村氏は、2020年3月、十日町市の「ギルドハウス十日町」で行われた起業家セミナーで、松之山温泉から塩を作るビジネスを発案した。
2泊3日のメニューで、起業を目指す人や関心のある人が集まり、金曜日の夜に乾杯からスタートする。それぞれ自分の企画をプレゼンして話し合い、いくつかの案から良いものを3つ投票によって選ばれる。
選ばれた案は全員でブラッシュアップして、事業のスタートアップまでを一気に行う。必要な交渉や契約書作成、場合によったら商品まで作ってしまうという。以上を土日の2日間で行うというものだ。
嶋村氏のアイデアはグランプリを獲得、そこで知り合った人たちと共同で、2020年9月、松之山兎口(うさぎぐち)地区に「まつのやま塩倉」を立ち上げた。

使われなくなった農作業小屋を利用して2021年9月に建てられた「まつのやま塩倉」

「温泉から塩を作ることは、以前から松之山のキャンプイベントなどで単発的に行っていました。温泉水をキャンプの火で夜通し煮詰めて、朝、出来た塩で地元の炊きたてのお米で塩おにぎりを作る。好評でしたが、その時は事業化のことは頭にありませんでした」
事業化セミナーに参加し評価されたことで、思いが一気に高まり現実化した。
「自分の中で壁だったのは、これまでは無償で塩づくりしていたのが、急にビジネスの話になること。地元の人に説明するのに抵抗がありました」
それも、2泊3日で形にするセミナーのお陰で、思い切ってお願いすることができたと話す。温泉水や小屋の確保など、地元松之山の人たちは快く協力してくれた。

地元の人の協力を得て「まつのやま塩倉」を開設

松之山の町役場のある交差点から坂をさらに上に登り、少し行くと兎口地区がある。道路から山側に少し入った棚田の脇に「まつのやま塩倉」がある。使われなくなった小さな農作業小屋を改装した。
5メートル四方ほどの広さの部屋の奥に窯があり、右手に小さなキッチンが付いている。窯の前のテーブルは左右非対称の流線形で、左右の壁に立てかけられた大きなスピーカーからは音楽が流れている。
窓の外は松之山の棚田が広がっていて、陽当たりがいい。小ぢんまりとしているが、元農作業小屋とは思えないおしゃれな作りだ。
「基礎的な工事は大工さんに頼みましたが、内装は知り合いの芸術家の人に頼みました。まだ完成途中ですが、すべて合わせると1000万円ほどかかりました」(嶋村氏)

約1000万円かけて改装した室内は、おしゃれでゆったりとした時間が流れる空間

ちょうど、これから温泉水を汲んでくるというので、車で嶋村氏の軽トラの後をついて行く。細い道を数分、登ったところに大きな木造の建物が見えて来た。
数年前に廃業した「植木屋旅館」で、高台にあり松之山の雲海が一望できる宿として人気があった。その入り口の脇に温泉水の取水口がある。
嶋村氏は、「ほかにも松之山の源泉があるのですが、この植木屋氏の温泉が一番塩づくりに適していました」と話す。
家の人に挨拶すると、嶋村氏はポリタンクに温泉水を詰める。20ℓのタンク5個。約100ℓの温泉水を詰め終わると、温泉に向かって静かに手を合わせた。「使わせていただいている感謝の気持ちで、毎回こうしています」と話す。

契約している近くの元植木屋旅館の敷地内の源泉を汲む嶋村彰氏。塩づくりには最も適した源泉だという

温泉を汲み終わった後は必ずお祈りし、感謝の気持ちを捧げる

1日8時間、100ℓの温泉水から採れるのは1㎏だけ

塩倉に戻るといよいよ塩づくりだ。まずは釜の間の隙間に土を詰めて塞ぐ。土は近所の取り壊された家の土塀をもらってきた。
「隙間があると煙と熱が逃げるので、火を入れる前に毎回こうして土で塞ぎます」
部屋に積まれている薪は間伐材や付近の建築廃材などをもらってきたもの。着火剤用にスギの葉っぱを燃やし、そこに薪をくべると意外に早く火がつく。マツの木の場合は松ヤニなど油分が多いのでよく燃えるそうだ。

窯に火を入れる前に隙間に土を埋め込み、煙が漏れないようにする

釜の中に温泉水を注ぎ込む。ふつうは一回で40ℓほどを煮込むそうだ

嶋村氏は汲んできた温泉水を釜に注ぎ込む。本来はここで40ℓ分の温泉水を投入するが、今回は20ℓ。ここまでの作業を慣れた手つきで素早くこなす。薪が燃える香ばしい香りと、パチパチとはぜる音が小さな部屋に充満する。
「塩分濃度が1%ですから、海水の約3分の1です。1日100ℓくらい煮詰めますから、約1㎏の塩が採れます」
温泉を汲んできて、火を焚いて、温泉水を注ぎ込み煮詰める。ふだん農作業に慣れている嶋村氏にとって、一つ一つの作業自体はそれほど苦ではないという。
「ただ、塩づくりに1日張り付いていると、熱を浴びるせいかとても疲れます。昔ながらの形で塩を作るということは、大変なことだと実感します」

スギの葉っぱを着火剤にして火を起こす

火がついたら、後は煮詰まるまで火の具合を見ながら待つ

1日8時間ほどの作業は1人でも行うこともあるが、他のスタッフと一緒にやることも。「一人増えるだけで、作業が分担できるのでずいぶん楽になりますね」
温泉水が煮詰まるまで、空いた時間を利用して薪割りや発送作業など、さまざまな雑務を行う。テーブルの上にノートパソコンを置いてメールのやり取りなども済ませる。

2階には虹の芸術家による特殊空間が

じつは、作業場の2階がドーム状の空間になっている。そこでは内装工事が並行して行われていた。芸術家の関口恒男氏は、2021年5月から泊まり込みながら、工事を続けてきた。
嶋村氏は2003年に行われた大地の芸術祭で関口氏と知り合った。「天然の素材を生かして創ったシェルタードームなどに、虹の光を組み合わせた作品に感銘を受けました。そこから長くお付き合いさせてもらっています。今回の塩倉の内装は関口氏しかいないと、お願いしました」(嶋村氏)
柱や壁のところどころに木製の流線形のモチーフが装飾され、土壁の天井には緩やかに弧を描く木の枝が四方から張り出している。まさに枝で支えられたシェルタードームの様なイメージ。
「できるだけ、自然の空気感を表現したい」と関口氏は説明する。「この曲がった木は、このあたりの間伐材を用いました。だいたい20年から30年くらいの樹齢ですが、冬の間の雪の重みでこのように曲がります。雪の少ない北海道などには見られません。湿った重い雪がたくさん積もる、妻有地区ならではの隠れた名産ですね。その曲木を利用しました」。
取材したときはほぼ完成間近で、最後の仕上げを急いでいた。

虹の芸術家の異名をとる関口恒男氏。嶋村氏とは長い付き合いで、今回まつのやま塩倉の内装も手掛ける

その時ちょうど雲間から太陽の光がのぞき、あたりがひときわ明るくなった。「ちょっと外に出てみましょう」。関口氏に促されて外に出ると、入り口に面した細い道路の向こうに、金属製の大きな朝顔のような花の形をした鉢が3つ並んでいる。鉢には水が湛えられ、中には大きな鏡が沈み込んでいる。
「この中の鏡で太陽の光を反射して虹を作り、2階の窓枠に合わせて投射します。すると虹が2階の天井や壁に投影される仕組みです」
水の中の鏡の角度を調整すると、反射した光が美しい虹となって塩倉の建物に反映する。2階に上がってみると、窓から差し込んだ虹の光が、壁から天井にかけて見事に揺らめいている。

朝顔の形の金属の鉢には水がたたえられ、中の鏡の角度を調整することで、反射した日光が虹となり2階の窓から室内に映り込む。水面の揺らめきがそのまま虹の揺らめきとなる。

嶋村氏は「関口氏の虹をぜひこの場所に再現したかった」と話す。「単なる作業場ではなく、皆が集まれる場所にしたいですね。2階の空間で会合はもちろん、ちょっとした演奏会を開いてもいい。晴れた日には天井に映った虹の光に包まれながら、ゆったりのんびり過ごす。日常では思いつかないさまざまなアイデアが生まれたりするんじゃないかと」
まつのやま塩倉は、塩を作るだけでなく、それを通じて多くの人が集まり、創造性とインスピレーションを高めることができる特別な場所なのだ。

2階のドーム型の空間は晴れている日は虹が壁に映り、窓の外の棚田を眺めることができる。そして夜は満点の星空。日常の感覚から離れ、インスピレーションや創造性が高まる場所にしたいと嶋村氏

発送作業にも心を込めて

火を入れて1時間ほどして、「まつのやま塩倉」の代表の髙橋泰明氏がやって来て、嶋村氏と一緒に発送作業を始めた。
髙橋氏は2019年に、実家の東京の板橋から松之山の祖父母の家に移り住んだ。
「都会の生活になじめず、いろいろ点々としながら、結局子どもの頃、夏休みに両親と訪れた祖父母の実家の松之山で生活することにしました。そこで嶋村さんと知り合い、『まつのやま塩倉』を手伝うことになりました」
インターネットでの注文が多いそうだが、発送は1週間分の受注を毎週月曜日にまとめて行う。
商品には必ず手書きのお礼のメッセージを添える。髙橋氏は嶋村氏と相談しながら文章を推敲して書くが、全員に、しかも一人一人別な文章なので大変な作業だ。
「メッセージはやはり手書きの方が思いがこもりますからね」(嶋村氏)

温泉を煮詰めている間の時間を利用して発送作業や薪割りなど、さまざまな雑務をこなす。髙橋泰明氏(右)は、東京板橋区から祖父母が暮らしていた松之山に移住し、嶋村氏と塩づくりを行っている

必ず送り先には手書きのメッセージを添える。髙橋氏は嶋村氏と相談しつつ、文面を一つ一つ吟味して書き進める

メッセージを書き終えて発送作業を終えると、次の発送に備えて商品のパッケージ作業をする。A4の包装紙を折り紙のようにたたみながら、六角形にしていく。
「私とメンバー1人の女性の発案ですが、ネットで折り方を調べました」と話しながら、嶋村氏は器用に次々に六角形に折りたたんでいく。
ゆくゆくは作業を村の高齢者の方々の内職として、仕事を振り分けることも考えたいと話す。
「高齢者の方たちにとって、作業が張り合いになればよいと考えています」

六角形の独特の包装は嶋村氏とスタッフの女性の発案。ネットでA4の紙を六角形にする方法を調べたという

嶋村氏はこの塩づくりの他にも、本業の農家として「ホーリーバジル」も作っている。和名は「神目箒」だが、発祥の地のインドでは神に捧げる植物として崇められている。
嶋村氏は「まつのやま茶倉」という会社を作って、同じように近くの作業場を改装した拠点を持っている。商品は主にオンラインサイトや地域、都内への卸などで販売しているが、こちらも人気が高い。
「「まつのやま塩倉」に来たお客さんに「まつのやま茶倉」を紹介すると、けっこう皆さん喜んでいただけます。逆に茶倉のお客さんも塩倉に関心を持ってもらえます。相乗効果で認知してもらい、喜んでもらえればありがたいですね」と嶋村氏は期待を込める。

嶋村氏は「まつのやま茶倉」でインド原産のホーリーバジル(神目箒茶)の栽培と販売を行っている

数時間後、20ℓの温泉が煮詰まり、凝固し始めた。鍋の底には塩が白く泡立っている。それをヘラで掻き取り、通常なら別の土鍋に移してさらに熱を加え、水分を飛ばす、いわゆる「焼き塩」となる。

煮詰まった温泉が白い塩の結晶となって浮かび上がってくる。

100ℓの温泉水から1㎏しか採れない貴重な塩。これをふだんはさらに火にかけ焼き塩にして販売する

嶋村氏は、「焦がさないようにかき混ぜながら水分を飛ばします。ここが一番繊細で大変な作業になります。
出来上がった塩は、甘みと深い味わいがある。何より、塩を作るまでの工程を知ると、その味もまた違ってくる。
しかも1200万年前の海水を煮詰めてできた、太古の昔がそのまま凝縮された塩だ。「まつのやま塩倉」の「薬湯山塩」は、究極の自然食品と言っていいだろう。

「薬湯山塩」は松之山の化石海水温泉を昔ながらの製法で作った、まさに太古の自然の結晶だ