雪の中に投げ落とされる婿たち。墨でお互いの顔を真っ黒に塗り合う人びと。雪国の少々荒っぽいやりとりの中で、誰もが不思議と満面の笑顔を見せる。

奇祭「むこ投げ・すみ塗りまつり」。毎年のように全国でテレビ放送されるため、その一風変わった光景を、「テレビでなら見かけたことがあるという人」は多いはず。しかし、まつりの背景にある伝統や歴史まで知る人は、そう多くはない。

かつて婿として投げられ、現在はまつりの中心的な役割を担う柳一成さん(松之山温泉合同会社まんま代表)に、その歴史や由来を聞いた。お話から見えてきたのは、地域の伝統を大事にしながら、おまつりを心底楽しむ住民の姿だった。

柳一成さん
柳一成さん

「ワッショイ!ワッショイ!」。1月15日、午後1時過ぎ。温泉街を練り歩く、婿と4人の担ぎ手が見える。一行が向かう先は「むこ投げ」の会場である薬師堂だ。温泉街の奥にあるコミュニティセンター「地炉」で一休みした後、午後2時過ぎ、一行は再び婿を担ぎ上げ、薬師堂まで一気に登りきる。参拝し、お神酒を酌み交わした後の午後2時20分過ぎ、担ぎ手の「イチ、ニノ、サン!」のかけ声で婿が宙に舞う。

むこ投げ

「もともとは男同士の、娘をとったとられた、そういうところからはじまった」。

「むこ投げ」の起源はおよそ300年ほど前。よその集落の男に年頃の娘を盗られたことへの、集落の男衆の「やっかみ」が、かたちを変えたものだという。現在は温泉街のある湯本集落で行われているが、もとは隣の天水越集落の小正月の行事。当時は、小正月に婿が嫁の実家へ泊まりにきたところへ、集落の男衆が上がり込んで婿を担ぎ出し、神社から投げ落としていたそうだ。

「俺が狙ってた娘なのに、みたいな。祝福する気持ちもあったんだろうけど、やっかみが大きかったと思う」。

その行事は戦後、一時的に途絶えることになる。冬期間に産業のなかった松之山では出稼ぎが盛んになり、男衆が集落からいなくなったためだ。「このままでは地域の伝統行事が途絶えてしまう」。50年ほど前、そんな思いから動いたのが、柳さんの祖父の代の人たちだった。

「湯本集落で引き継ごうと。当時、冬は温泉街にお客さんはいなかった。だから誘客のためというより、行事を守りたい、という気持ちが強かったと思う」。

やっかみからはじまったとされる「むこ投げ」だが、湯本集落が引き継いでからは、結婚して地元に根を下ろすことになった若者への通過儀礼としての役割も担うようになる。また、冬のあいだ雪に閉ざされる松之山では地域の住民にとって別の意味合いもある、という柳さん。

「一年に一度のお楽しみというか。酒をいっぱい飲んで、婿を投げて、顔を真っ黒にして。そうやって目一杯楽しむことが、いい発散になっている」。

すみ塗り

「むこ投げ」が終わると一行は、薬師堂近くの広場に向かう。もうひとつのメインイベント「すみ塗り」だ。広場の真ん中にそびえるのは「賽(さい)の神」と呼ばれる巨大な塔。午後3時過ぎ、「賽の神」が婿たちによって火にかけられると、おもむろにその灰を雪と混ぜはじめる地元の住民たち。灰を手にこすりつけ、「おめでとう!」の声とともに互いの顔に塗りはじめると、たちまち場が高揚する。主役のご夫婦や地元住民はもちろん、報道関係者や駐在さんまでも巻き込まれ、午後3時30分ごろには、顔という顔はすっかり真っ黒に変わっていく。

「すみ塗り」の起源は「むこ投げ」よりもさらに古く、一説によると600年ほど前と言われている。「賽の神」を燃やしその年の豊作を祈願する、日本各地で今も見られる小正月の行事から派生した「すみ塗り」。松之山温泉に根づいた理由として、「温泉があることで、後で落とせるからではないか」と柳さんはいう。この「すみ塗り」に、天水越集落から復活させた「むこ投げ」が組み合わさり、現在のかたちになった。

すみ塗り

昭和の後期。地域の人だけが参加していたおまつりに、ちょっとした転機が訪れる。昭和56年の隣町につながる豊原トンネルの開通、昭和58年の松之山温泉スキー場の完成により、近隣の住民やお客さんが訪れるようになったのだ。自然と地域以外の人もおまつりに訪れるようになり、今では毎年400~500人ほどが集まるおまつりに。また近年では、外国人の来訪も目立ってきているという。

とはいえ、もともと「地域の伝統を守りたい」という思いからはじまり、自分たち住民のために続けてきた行事。近年になってもその気持ちは変わっていない。

「やっぱり、集落のお祭りだということは、大事にしていきたい」。

10年ほど前から「むこ投げ」の主役を公募でも受け付けるようになった。「投げられてみたい」という声は多いが、だからといって誰でもいいというわけにはいかない。あくまでも集落の行事であることを軸に据えながら人選しているという。

開催日の「1月15日」にもこだわりがある。平成12年にこの日が休日から平日に変わった際、「まつりの日程を休日に合わせたらどうか」という声もあった。

「でも日にちは変えなかった。そのせいで取りやめになったツアーもあったが、もともと小正月に嫁さんの実家に帰って来たところを投げる、というストーリーがあるわけで。平日だろうと、やっぱり地元のおまつりだから。それが伝統だから」。

そうした伝統を大切に思う気持ちを地域住民も理解している。小中一貫校・まつのやま学園は今年、湯本集落の子供にのみ午後からお休みを出した。子供たちはおかげで、平日でありながらおまつりに参加できた。

地元の子供たちには、「むこ投げ」の際につく専用のポジションがある。薬師堂の境内の隅、婿が投げられる様子を間近で見ることができる「一番いい位置」だ。「決められているわけではないのに、なぜか必ずここにいる」。柳さんもかつてそこにいたという。おまつりに参加し、大人たちを見守る子供たち。「こういうことが大事なのかもしれない」と柳さんは言う。

「そのうち、この中から投げられたり、投げ手になったりっていう。間近に見ていて、あの大人たち楽しそうだな、ばかやっているなあ、と」。

 

語り手:柳一成さん
松之山温泉合同会社まんま代表、ひなの宿ちとせ社長。